禁煙運動の歴史と方法

禁煙に効果を発揮し始めた禁煙運動の方法とタバコとの戦い

1493年、コロンブスが新大陸アメリカ発見の土産として持ち帰ったものの

中に、アメリカの原住民が吸っていたタバコがあります。

喫煙を知らなかったヨーロッパやアジアの人々にタバコというものを伝えたのです。

このタバコというものが、徒歩か馬で陸を、或は、船で海を移動するしかない時代に、

全世界に広まるのにわずか半世紀の期間しか要していません。

このことを以ってしても、タバコが如何に素早く世界中に広まったのかがわかります。

禁煙と喫煙の戦いは、このときから始まっていたと言ってよいのかも知れません。

フランス駐在のポルトガル大使のジャン・ニコによって、1560年に

“新世界からもたらされた万能薬”としてフランスに伝えられました。

「ニコチン」という名前は、このジャン・ニコに因んでつけられたものです。

その当時、ヨーロッパで最も恐れられていた疫病にペストがあります。

このペストに対して予防効果があると信じられて,ペストが大流行する度に、

人々は医師から子供まで疫病から逃れようとしてタバコを吸ったのです。

この点から考えると、薬だと思って吸っていたのは間違いないでしょう。

ただし、習慣性・依存性があるものとまでは、理解していなかったのではない

でしょうか?

アジアにタバコが伝えられたのは,ヨーロッパから少し遅れた16世紀後半頃で、

やはり最初は「薬」として伝えられました。

1570年代に、スペインは,植民地にしたメキシコから、フィリピンのマニラに

南米風の吸い方である葉巻として伝えました。

しかし、後を追ってやって来たイギリスやオランダは、北米風のパイプを使う

吸い方を伝えたのです。

アジアでは、このパイプやキセルを使うという喫煙方法が定着しました。

中国には、17世紀初頭に、薬草としてルソンから伝えられたようです。

日本には、このフィリピン経由で、たばこは1601年(慶長6年)に薬として

伝えられています。

歴史上、最初に国民に禁煙させようとした人は、イングランドのジェームズ1世と

いう王様です。

「異教徒の野蛮人の真似をするな!」ということです。

しかし、禁煙運動を提唱したわけではありません。

禁煙を推奨するという方法ではなく、タバコの関税を40倍に引き上げることで、

財政に貢献させるという方法をとりました。

禁煙政策の1つに、タバコの値段を高くするという方法がありますが、

歴史上この方法の最初の実施者だと思われます。

ロシアでは、1633年にタバコが禁止になりました。

違反者は、鼻を切り裂くという恐ろしい法律でした。

それでも、禁煙がすすまなかったのでしょう。

1655年には、違反者は死刑にするよう改められました。

イスラム教圏でも、タバコは悩みの種になっていたようです。

トルコでは、タバコは、キリスト教の悪魔が伝えたものだと決め付けたのです。

禁煙しないものは、異教徒の悪魔と手を組んだ者として処刑されました。

ペルシャでは、タバコをドッサリ運んで来た商人を捕らえ、処罰の上、タバコを

全て燃やしてしまったそうです。

インドでも、禁煙しないものは、唇をそぎ落とすという命令が出されています。

中国で最初の禁煙令が出されたのは、1637年だそうです。

日本では、もっと早く1609年に最初のタバコの禁令が出されました。

しかし、どの国でも、どれほど厳しい罰則で取り締まっても、禁煙を完全に

勝ち取ることは出来なかったのです。

驚いたことに、現在の禁煙政策の1つのステップでもある、公共の場での禁煙などが

実施されている時期もあったのです。

1840年代のプロイセンやオーストリアでは、街頭や公共の場では、禁煙と

決められていました。

しかし、この禁煙の令は、1848年の3月革命により廃止されました。

禁煙と喫煙の戦いに大きな影響を与えたのが、紙巻タバコです。

職人が手で巻いていたものにも、産業革命は機械化の機会?を与えました。

機械化は、主にアメリカで進み、画期的な巻上機が登場したのは、1881年でした。

なんと、手巻き職人の50倍のスピードで巻くという早業の機械です。

これから後は、紙巻タバコが主流となり、莫大な利益を上げ続けるタバコ会社は、

世界市場の8割近くのシェアを握る巨大多国籍企業となっていったのです。

キセルで刻みタバコを吸っていた日本でも、1890年代には、紙巻タバコが

当り前になっています。

明治政府も、禁煙は難しいと解かって狙いをつけたのでしょうか?

手っ取り早く、日清戦争の戦後経費を調達するために、葉煙草専売法を

施行しています。

葉タバコを独占的に買い上げて、タバコの製造業者に売るというものです。

紙巻タバコになり、消費量も増えたのでしょう。

今度は、日露戦争の軍費を調達し、外国資本から日本のタバコ産業を守るという

錦の御旗を掲げて煙草専売法が成立しています。

この時から、葉タバコの買い上げから製造まで、全ての権利を国が行使する

タバコ専売制が始まったのです。

タバコ税は、国家の収入の1割を占める重要な収入源となりました。

国がタバコを製造し、収入を得る。

現在も専売公社が日本たばこ産業株式会社と形や名前を変えただけで、財務省

所管の国の収入源の一部であることに変りありません。

国が奨励し、税収のために消費を拡大させてきたのです。

日本において、禁煙運動が遅々として進まない大きな阻害要因を形成している

のです。

もう1つ、日清戦争と日露戦争の間に「未成年者喫煙禁止法」が

制定されています。

これは、徴兵年齢になる20歳までは喫煙を禁止する法案です。

当時は、日本も徴兵制度を敷いていました。

この徴兵検査で、喫煙者が不合格になることが多かったのです。

国としても、禁煙の考えがあった訳でもなく、国民の健康を考えた訳でもない。

国が兵隊をとるのに都合が悪いというだけの理由なのです。

要するに、20歳まではタバコを吸わずに、健康で国に役立つ立派な兵隊になれ。

もし、兵隊にもなれない、徴兵検査にも落ちるような20歳以上の男は、

タバコを吸って、せめてタバコ税で国に貢献しろと言っているようなものです。

「タバコは二十歳になってから」という明治時代に作られた思想は、徴兵検査が

なくなった今でも続いていることになります。

英国はヨーロッパで最も早く喫煙が流行した国です。

そのため、禁煙への取り組みも早かったものと思われます。

テレビでの広告禁止や禁煙運動に国を挙げて取り組み、喫煙率は20%台に

減少しました。

アメリカでは、1963年にアメリカ医師会が先頭に立ってタバコ追放運動が

始まりました。

日本では、昭和50年代後半からタバコの害が広く知られるようになった。

しかし、日本では、タバコ税が国家の収入の柱のひとつであるため、禁煙運動

が広まるまで多大の時間を要しているのです。

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